今週の商品紹介はまさに題名の「おうちカフェ」に
ピッタリのアイテムです。
ローテーブルBF5885 ブルー
¥5,980
幅80×奥行48×高さ32cm
Made in Taiwan
※組立式
◇色違い左上からライトブルー、ホワイト、ライトパープル、ライトグリーンです。
デザイン的には、楕円の天板に丸脚テーパーと
北欧系のものになっています。
オファーされた時、全体の色がナチュラルだったので
商品化は難しいと思いましたが、
「待てよ。色を変えれば生き返るかも」と
脚と天板の側面をウォールナット色にし、
天板を「PANTONE」で色指定しました。
その後サンプルがあがって実物を見てみると
これがなかなか良かったので商品化したわけです。
特にブルー系2色はPANTONEならではの色です。(291番と318番)
北欧系カラーとウォールナットとの相性はなんとも言えず繊細です。
少しソファの色選びが難しくなるかもしれませんが、
このテーブルの脚がウォールナット色であるのを考えれば
なんでもコーディネートできそうな感じです。
また大きさも小ぶりなのでそれほど主張が強くありません。
例えばおもとめ易い
8045B(15,800円)とあわせても
かなり感じよくなります。
「おうちカフェ」がミッドセンチュリーのテイストで味わえます。
さて、価格ですがなんと5,980円(税込み)です。
NOCEプライスの王道です。
先程の8045Bとプラスしても21,780円となり、
チェアやダイニング選びに余裕がでます。
また価格が安いので2本買って色のコントラストで遊んでも
楽しいかとおもいます。
どの色に人気が集まるか予想できませんが、
初回仕入れのため集中してしまうと欠品が早そうです。
価格も手頃なので、一度実物をご覧いただければと思います。
先週からのつづき。
時代は70年代になり、激動の60年代と違い
行き場を失った人たちが多くなり、世の中は少し退廃的になり、
若者は「無気力」と非難されました。
喫茶店も思想的なものは姿を消し、脱サラブームによって開業する
「純喫茶」(酒類など出さずに喫茶店メニューのみの店)が多く見られました。
こういった店にテーブル式の「スペースインベーダー」「ブロック崩し」などの
ゲーム機があり、(当時1ゲーム100円)退廃的で無気力な時代を
象徴していました。
一方、この喫茶店安定期に大型喫茶店の礎が作られました。
まず、1971年に世界最大のハンバーガーショップが銀座に出来ました。
つづいて1972年にデイリークイーン(今は完全撤退。全盛期は200店舗)
が出来ました。
もちろんどちらもコーヒーがあるわけで、
喫茶店のシェアは食われるわけです。
当時、「ネコの肉が使われている」とうわさになったほど
競争をしていました。
(ありえないうわさです。なぜならばネコは筋肉質で
食用にするにはコストがかかりすぎます。また、野生的で
ネコ牧場などできるわけがないからです。)
ただコーヒーは出ますが立ち飲みのコーヒーはまだ馴染みませんでした。
日本の大手チェーン喫茶店もこの頃が、スタートでした。
ポエム、コロラド、珈琲館などが代表です。
また、名画に恥じない喫茶店、フランス語で「黒猫」の意味を持つ
大型大衆喫茶店もこの時代に飛躍しました。
椅子に座って「ホットひとつ」と言って
カップのコーヒーに砂糖とミルク(ステンレスの小さな容器)を
クルクルとティースプーンで音を立てながらかきまぜるわけです。
喫茶店をサボリに使っている背広にネクタイのセールスマン、
ウエイトレスがこのミルクを忘れたりすると
「フレッシュないよ!」と八つ当たりぎみに怒鳴りつけていました。
フレッシュの意味がわからないウエイトレスが聞き返すと
火に油を注ぐ事になり「店長出せ!」となり、
黒のスラックスに白いワイシャツ、蝶ネクタイの店長が
「ねんきの入った丸いステンレスのお盆」を胸に飛んできます。
「新人なので勉強が足らずすみません。コーヒーの料金、いただきません」と。
すると「僕はねぇ、別にそういう事言ってるんじゃぁないんだよねぇぇ。
あの娘にがんばってねと伝えといてね」
もちろんフリーオブチャージのネゴシエーションは成立し、
時間もつぶれました。
「はい!ありがとうございます」と店長。
セルフが多くなった昨今考えられない光景でした。
それでもコーヒーの歴史を塗り替えるような店舗が
1973年に進出してきました。
1973年のアンナミラーズと1974年のデニーズです。
なにがすごかったのかといえば、アメリカ式の
「コーヒーおかわり自由」というものです。
デニーズは郊外だったのですが、アンナミラーズは、
下北沢や自由が丘といったコアな街にありました。
「パイ」で有名だったのですが、
違う意味で男性客を引きつけていたようです。
1970年代、個人オーナーの純喫茶、大手コーヒー豆メーカーチェーン店、
大手大衆喫茶店、ハンバーガー店、アメリカ系コーヒーレストランと
この時代は大きな流れの変わるマグマが蓄積された時代とも言えます。
ただ70年代後半になると大手の躍進に伴い、
コーヒーだけをサービスする「サテン」と呼ばれた
個人オーナーの純喫茶は時代とともに姿を消していきます。
個人が脱サラなどで独立開業し易いという理由で多く出店されましたが、
また多く廃業していったのも事実です。
「星の数ほど出来ても、星の数だけ消える」ともいわれていました。
いつのまにか、街から「サテン」が消え大手コーヒー店が増えました。
激動の80年代を迎えるカオスとも言えました。
1976年に三木聖子が歌った、「まちぶせ」の
(荒井由実のオリジナル曲で石川ひとみが後にカバーしてヒットした。
最近は徳永英明で有名)「夕暮れの街角で覘いた喫茶店」も、
1977年に讃岐裕子が歌った「ハローグッバイ」の
(これは、オリジナルが1975年アグネスチャンのシングル
「冬の帰り道」のB面。ただ讃岐裕子バージョンと歌詞が一部異なる。
後に柏原芳恵がカバーしてヒット。音楽的評価は讃岐裕子のほうが高い。)
「紅茶のおいしい喫茶店、白いお皿に グッバイ、バイ、バイ」も
所謂70年代の「サテン」でした。
「サテン」自体も時代の彼方に皮肉にも「グッバイ」となっていきました。
余談として。
このブログを書いていて思い出したのですが、
紅茶のおいしい喫茶店と聞いて吉祥寺にあった
「ティークリッパー」を思い出しました。
随分前に閉めたそうですが、最近復活したそうです。
元の場所はプチロードと言って喫茶店(カフェの原型かもしれません)
の集積でした。
ティークリッパーもそのひとつで、その他に
「しもん」「サムタイム」「スクラッチ」「コンツェルト」(クラシック)
「西洋乞食」などの名店があり
JAZZの香りがいまでも漂っているような気がします。
次週につづく。